2007年03月
2007年03月29日
2007年03月22日
背負わされた十字架
もう、どのくらい前のことだろうか。
当時僕は、ある出版社に勤めていた。
その会社のクリエイティブ事業部という部門で
イベントや講演会、コンサートなどを
自治体に営業する仕事に従事していた。
どこでどうそういう話になったか覚えていないが
ある人物のコンサートを京都府の精華町役場というところで
開催することになった。
当時の僕のサブで営業していてくれた子が色々調べてくれて
彼の連絡先をつかんでくれたように記憶している。
彼の名前は、新垣勉(あらがきつとむ)という。
10年近く前だっただろうか。
今なら少しは彼の名前を知っている人はいるかもしれない。
ただ、当時はほとんど彼の名前は知られていなく、
彼は、一人のアシスタントマネージャーを連れて
このような小さなコンサートを全国行脚していた。
彼は歌手である。
戦後まもなく、アメリカ兵の父親と日本人の母親の間に沖縄で生まれた。
生まれて直後、産婆さんの手違いで失明。
父親は、すぐにアメリカに帰国。
母は、再婚駆け落ちし、祖母に育てられた。
12歳のときに最愛の祖母に先立たれ天涯孤独に。
世の中を恨み、いつかはアメリカに飛び父親を殺してやる。
そんなアウトローな人生を歩みかけていた。
彼の人生を変えたのは2つあった。
ひとつは、ある神父さんとの出会い。
もうひとつは、彼の歌声。
小さいころから歌好きの祖母から歌を教えられ
近所でたくさんの人を喜ばせていた。
本格的に歌の世界で生きていこうと決心したのは
あるオーディションテープを聴いた大学の先生の一言。
「日本人でこんなラテン系の日本人離れした歌声は初めてだ。」
「ぜひ、うちで勉強しなさい。」
もちろんテープだけを聴いた先生は、彼がハーフなどとは知らない。
新垣勉とう日本人だと思っている。
彼の父親は、ラテン系アメリカ人だった。
殺したいとまで憎んだ父親。
その父親の血のおかげで、今、世界が変わろうとしている。
そのとき、新垣さんの人生が本当に変わった。
今ではラテンの骨格を授けてくれた父に感謝している。
実際、楽屋での彼は本当に明るかった。
送迎の車の中では、FMラジオの歌にあわせて鼻歌を。
目は見えないが、色には敏感だ。
「今日の衣装は何色?」
新垣さん、赤のジャケットに白のパンツですよ。
「僕は、ビビッドなほうの赤がすきなんだけど。」
正直、彼には色を感じることができていたように思う。
世の中には、色々な問題が起こりそれを理由に
現実を恨みたくなることがたくさんある。
でも、ある出来事に、良い・悪い、は存在しない。
ただ事実があるだけだ。
その出来事を、その人がどのように捕らえるか。
自分自身の考え方次第だ。
久しぶりに、ラジオから彼の歌声が聞こえてきた。
ボブディランの「風に吹かれて」を歌うその声は、
時間を越えて、あのときの無邪気な笑顔を思い出させた。
「答えは、風に吹かれて」
少し有名になった新垣さんだけど、また、いつか会いたいなと思った。
さとうきび畑
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当時僕は、ある出版社に勤めていた。
その会社のクリエイティブ事業部という部門で
イベントや講演会、コンサートなどを
自治体に営業する仕事に従事していた。
どこでどうそういう話になったか覚えていないが
ある人物のコンサートを京都府の精華町役場というところで
開催することになった。
当時の僕のサブで営業していてくれた子が色々調べてくれて
彼の連絡先をつかんでくれたように記憶している。
彼の名前は、新垣勉(あらがきつとむ)という。
10年近く前だっただろうか。
今なら少しは彼の名前を知っている人はいるかもしれない。
ただ、当時はほとんど彼の名前は知られていなく、
彼は、一人のアシスタントマネージャーを連れて
このような小さなコンサートを全国行脚していた。
彼は歌手である。
戦後まもなく、アメリカ兵の父親と日本人の母親の間に沖縄で生まれた。
生まれて直後、産婆さんの手違いで失明。
父親は、すぐにアメリカに帰国。
母は、再婚駆け落ちし、祖母に育てられた。
12歳のときに最愛の祖母に先立たれ天涯孤独に。
世の中を恨み、いつかはアメリカに飛び父親を殺してやる。
そんなアウトローな人生を歩みかけていた。
彼の人生を変えたのは2つあった。
ひとつは、ある神父さんとの出会い。
もうひとつは、彼の歌声。
小さいころから歌好きの祖母から歌を教えられ
近所でたくさんの人を喜ばせていた。
本格的に歌の世界で生きていこうと決心したのは
あるオーディションテープを聴いた大学の先生の一言。
「日本人でこんなラテン系の日本人離れした歌声は初めてだ。」
「ぜひ、うちで勉強しなさい。」
もちろんテープだけを聴いた先生は、彼がハーフなどとは知らない。
新垣勉とう日本人だと思っている。
彼の父親は、ラテン系アメリカ人だった。
殺したいとまで憎んだ父親。
その父親の血のおかげで、今、世界が変わろうとしている。
そのとき、新垣さんの人生が本当に変わった。
今ではラテンの骨格を授けてくれた父に感謝している。
実際、楽屋での彼は本当に明るかった。
送迎の車の中では、FMラジオの歌にあわせて鼻歌を。
目は見えないが、色には敏感だ。
「今日の衣装は何色?」
新垣さん、赤のジャケットに白のパンツですよ。
「僕は、ビビッドなほうの赤がすきなんだけど。」
正直、彼には色を感じることができていたように思う。
世の中には、色々な問題が起こりそれを理由に
現実を恨みたくなることがたくさんある。
でも、ある出来事に、良い・悪い、は存在しない。
ただ事実があるだけだ。
その出来事を、その人がどのように捕らえるか。
自分自身の考え方次第だ。
久しぶりに、ラジオから彼の歌声が聞こえてきた。
ボブディランの「風に吹かれて」を歌うその声は、
時間を越えて、あのときの無邪気な笑顔を思い出させた。
「答えは、風に吹かれて」
少し有名になった新垣さんだけど、また、いつか会いたいなと思った。
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2007年03月19日
楽しむ
ほぼ、1ヶ月ぶりの更新になってしまいました。
3月は色々忙しく、体調を少し壊してしまいました。
先日、日本サッカー協会(JFA)公認のD級指導者の資格を受けてきました。
日本サッカー協会の公認指導者は、D級、C級、B級、A級、S級とあり、
12歳以下の公認コーチとして資格を得ることができるのが、D級です。
S級レベルになると、代表やJリーグの指導者として公認されます。
僕が関わるのは基本的に小学生なので、D級という一番底辺の指導者として基礎を学んできました。
12歳以下の世代、いわゆる『ゴールデンエイジ』と呼ばれる世代をどう引き伸ばして上げられるかというのが、JFAの課題としてあるようで、非常に勉強になる講習でした。
サッカーに限らず、少年期の子供可能性をどれだけ広げてあげるかが本当に大事なんだと痛感しました。特に、9歳から12歳ぐらいまでの世代は、ゴールデンエイジと呼ばれる世代で教えた事をなんでも直ぐに吸収できてしまう世代です。ですからこの時期に本当に正しい指導を行わないと、彼らにとって本当に不幸です。
またこのゴールデンエイジをより良い状態で迎えるには、プレゴールデンエイジと呼ばれる8歳以下の幼年期に神経系の部分を延ばすような遊びや運動をしていないと吸収能力に差がでるそうです。
つまり、サッカーだけではなく、色々な体を動かすことを経験しておかないと
サッカーはうまいけど、ボールの投げ方がなんか変だとか、
野球のバットにボール当てれてもテニスラケットにボールが当らないとか
いびつな運動神経の子供が出来上がってしまいます。
昔なら、自然の中や子供たち同士の様々な遊びの中で、それが身についていた運動神経、いわゆる神経系の部分がいまの子供には育ちにくくなっている環境があるようです。
日本サッカー協会はそこの教育の部分にまで、熱心に取り組まれているのだな、と関心してしまいました。
特にサッカーは、フィールドの中では個人個人が自由に判断しなければならない創造性のスポーツですので、幼年期少年期の子供への指導が非常に大事になります。
小さいうちから「そこに動くな」「もっと前!」「右右!」などより制約を設けるような指導方法は、以後の選手の自由な発想を摘んでしまいます。少年期から自ら考える環境を提供することが重要になってきます。ですから楽しみながら、創造性を持たせることが出来るような自由な指導に力を入れたいと思いました。
サッカーを含めスポーツの原点は、楽しむ。になると感じます。
楽しむことから自由闊達な発想が生まれ向上心が生まれるのです。
ひるがえって、ビジネスの世界でも同じ事が言えるのではないかと思うのです。
「楽しむ」と言うと、そんな生易しいものではない、とか言う人もいるかと思いますが、究極的には楽しむ事ができない事は結果的に長続きできないか最終的にうまくいかなくなることが多いのではないでしょうか。
「楽しむ」ことができるというのは遊んでいるのとは違い、自由闊達な発想の元、わき目も振らず、一心不乱没頭できる状態であるときにおこる感覚です。
何事も「楽しむ」というスタイルが壊れたときに
何かの不協和音が鳴り響き始めます。
「楽しむ」原点に返って生活をしてみては?
3月は色々忙しく、体調を少し壊してしまいました。
先日、日本サッカー協会(JFA)公認のD級指導者の資格を受けてきました。
日本サッカー協会の公認指導者は、D級、C級、B級、A級、S級とあり、
12歳以下の公認コーチとして資格を得ることができるのが、D級です。
S級レベルになると、代表やJリーグの指導者として公認されます。
僕が関わるのは基本的に小学生なので、D級という一番底辺の指導者として基礎を学んできました。
12歳以下の世代、いわゆる『ゴールデンエイジ』と呼ばれる世代をどう引き伸ばして上げられるかというのが、JFAの課題としてあるようで、非常に勉強になる講習でした。
サッカーに限らず、少年期の子供可能性をどれだけ広げてあげるかが本当に大事なんだと痛感しました。特に、9歳から12歳ぐらいまでの世代は、ゴールデンエイジと呼ばれる世代で教えた事をなんでも直ぐに吸収できてしまう世代です。ですからこの時期に本当に正しい指導を行わないと、彼らにとって本当に不幸です。
またこのゴールデンエイジをより良い状態で迎えるには、プレゴールデンエイジと呼ばれる8歳以下の幼年期に神経系の部分を延ばすような遊びや運動をしていないと吸収能力に差がでるそうです。
つまり、サッカーだけではなく、色々な体を動かすことを経験しておかないと
サッカーはうまいけど、ボールの投げ方がなんか変だとか、
野球のバットにボール当てれてもテニスラケットにボールが当らないとか
いびつな運動神経の子供が出来上がってしまいます。
昔なら、自然の中や子供たち同士の様々な遊びの中で、それが身についていた運動神経、いわゆる神経系の部分がいまの子供には育ちにくくなっている環境があるようです。
日本サッカー協会はそこの教育の部分にまで、熱心に取り組まれているのだな、と関心してしまいました。
特にサッカーは、フィールドの中では個人個人が自由に判断しなければならない創造性のスポーツですので、幼年期少年期の子供への指導が非常に大事になります。
小さいうちから「そこに動くな」「もっと前!」「右右!」などより制約を設けるような指導方法は、以後の選手の自由な発想を摘んでしまいます。少年期から自ら考える環境を提供することが重要になってきます。ですから楽しみながら、創造性を持たせることが出来るような自由な指導に力を入れたいと思いました。
サッカーを含めスポーツの原点は、楽しむ。になると感じます。
楽しむことから自由闊達な発想が生まれ向上心が生まれるのです。
ひるがえって、ビジネスの世界でも同じ事が言えるのではないかと思うのです。
「楽しむ」と言うと、そんな生易しいものではない、とか言う人もいるかと思いますが、究極的には楽しむ事ができない事は結果的に長続きできないか最終的にうまくいかなくなることが多いのではないでしょうか。
「楽しむ」ことができるというのは遊んでいるのとは違い、自由闊達な発想の元、わき目も振らず、一心不乱没頭できる状態であるときにおこる感覚です。
何事も「楽しむ」というスタイルが壊れたときに
何かの不協和音が鳴り響き始めます。
「楽しむ」原点に返って生活をしてみては?


日本オスモ株式会社 山崎宛




